誰かの暮らし方ではなく、私達の暮らし方を追求した「笹のいえ」

お話を伺ったのは

渡貫 洋介さん
1972年生まれ。元ブラウンズフィールド・マネージャー。2013年、高知県で出会った古い民家を仲間とともに改修。2015年「むかし暮らしの宿 笹のいえ」をオープン。

むかし暮らしの宿 笹のいえ

高知県嶺北地域・土佐町の中心部から車で約30分。民家もまばらな細い道をそろそろと進んだ先に「むかし暮らしの宿 笹のいえ」がある。宿として来訪者を受け入れながら、この家で自分たちの暮らしを作っているのが、渡貫さん一家。庭先には手作りの醤油の香りが漂い、家の中からはかまどで火を起こす音が聞こえる。千葉県で暮らしていた渡貫さん一家がこの古民家に出会い「笹のいえ」を営むに至るストーリーを伺った。

自分らしく生きる道

物心ついた時から東京板橋区に暮らし、都会の文化の中で育った渡貫さん。自営業を営む父親を中心に、いわゆる昭和的な価値観・家族観をもつ家庭だったという。いい大学に行って、いい会社に勤めて、結婚して子を育て…そんな価値観に、いつ頃からか違和感を感じていた。大学時代には1〜2社ほど就職活動をしてみたものの、違和感はふくらむばかりだった。「みんな同じようなスーツを着て、おじぎの角度はどうだとか、挨拶の仕方がどうだとか気にしてる。そんなルールの中で生きていくのはやっぱり違う」と思い、卒業後は日本を飛び出しオーストラリアへ。海でイルカたちと泳ぐツアーガイドの職を得た。

暮らしの原点

都会育ちの渡貫さんにとって、自然が身近なオーストラリアの暮らしは新鮮で、海や大地の豊かさにどんどん惹かれていったそう。ワーキングホリデーの期間が終わると帰国し、イルカのツアーガイドの仕事を求めて小笠原島へと移り住んだ。自然の中で暮らすうち、「自分が食べているものはどこから来ているんだろう」という暮らしの原点といえるものに興味をもつようになった。

ブラウンズフィールドへ

小笠原では現在のパートナーである子嶺麻さんとの出会いもあり、ますます食や暮らしへの興味が深まっていった。子嶺麻さんの母親はマクロビ料理家の中島デコさん。千葉県いすみ市で、田舎暮らし体験ができる宿のほか、レストランやショップを備えた施設「ブラウンズフィールド」を営んでいる。遠距離交際を経て、ほどなく子嶺麻さんが暮らす千葉県へ渡貫さんも転居し、ともに暮らし始めるようになった。

理想の暮らしを求めて

渡貫さんもブラウンズフィールドに参画して多忙な日々を送りながら結婚し、子どもにも恵まれた。施設には連日大勢の人がきて、イベントを開催すれば100人以上がわっと集う。毎日たくさんの人と話しているはずなのに、1日が終わると「今日は誰と話したんだっけ」とぼんやり思うようになっていった。充実していたもののあまりに忙しすぎて、オーストラリアや小笠原で求めてきた暮らしと、どんどんかけ離れていく感覚に陥った。

暮らしを見つめる大きな転機

そんな暮らしを見直す大きな転機となったのが、東日本大震災。改めて、自分たちの暮らし方を考えさせられた。九州への一時避難 のあと、子ども達と安心して暮らせる場所を求めて全国各地をたずね歩く旅がはじまった。西日本や関東圏などいろんな田舎で、自分たちの条件に見合う物件を探し続ける中、友人の紹介で「NPO法人れいほく田舎暮らしネットワーク」の川村さんに出会い、紹介されたのが今の家。草は生い茂り、家中いろんなところが壊れていた。それを自らの手で直していき、自分たちの家と暮らしを作っていったという。

たどり着いた理想の暮らし

そうして辿りついた今の暮らし。ただ、「時がたてば”心地よい暮らし”の形は変わっていくもの」だという。「僕たちは宿を営んでいるけど、ブラウンズフィールドのように大規模な運営をしたいとか、むかし暮らしを広めたいといったスタンスではないんです。自分たちの手の届く暮らしをする中で、古民家に住むスタイルや、マクロビの食事をひとつの選択肢として提案しています。宿泊体験やイベントをとおして、こんな暮らしもあるんだなと知ってもらって、その中で興味があるエッセンスがあればそれを持ち帰ってくれたらいいし、合わないものは取り入れなくて全然いいと思っています。いろんな暮らし方があるな、いろんな仕事の作り方があるな、という生き方の多様性にふれるきっかけになれば」と語ってくれた。

今回の訪問先

むかし暮らしの宿 笹のいえ

〒781-3331

高知県土佐郡土佐町地蔵寺3652

https://www.facebook.com/sasanoie.kochi/

 


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