夫婦二人三脚で13年という歳月をかけて創り出した大川村さくら祭り
お話を伺ったのは
川上千代子さん/1952年9月生まれ。2004年に父の病気をきっかけに大川村にUターン。2012年に定年退職し、「さくら祭」を開催。
13年前にUターン
13年前に、千代子さんの父の病気がキッカケで大川村にUターンすることになった川上さんご夫婦。Uターンの前は、文人さんは大阪で電気設備会社、千代子さんは看護師として神戸で働いていました。
しかし、Uターン時には、仕事もなく、裏山は、どこにでもある杉林だったそうです。
烏骨鶏の卵
Uターン当初仕事がなかった文人さんは、農業をやろうと思ったのですが、大川村では鳥獣被害が多く断念。そんな時に、神戸にいた頃に烏骨鶏の卵の販売をしていた業者を思い出し、大川村で烏骨鶏の飼育と卵の販売を始めます。四国の真ん中の大川村での販路というのは数少なかったので、ネットをつかった販売を試みます。しかし当時は、ネット回線もなかったので、村民の署名を集めて、役場に打診をして開設をしてもらったそうです。そして、HPも立ち上げ、サイトも上位に表示されるようになり販売も堅調に伸びるまでに至り、さらには、製造が追いつかなくなり、今では、サイトは閉めて関係者だけに個別に販売するだけになったそうです。
何もなければ作ればいい。この精神は、自身の裏山でも発揮されます。
防災対策の一環だった
当初は、さめうら豪雨の対策として、裏山の杉を切り出していました。切り出した後に、桜の苗を植えました。植えた当時は、花見をみんなで楽しむことができればいい程度で考えていたそうです。しかし、数年経つうちに見事な桜が咲いてきた。そこで、千代子さんの定年退職をした4年前に県の地域支援企画員にさくら祭を開催する相談をしました。すぐに快諾され、大川村の桜まつりが始まりました。
夫婦の役割分担
文人さんは、展望デッキやロッジハウスの制作などの大工仕事をメインで行い、千代子さんが芝桜や提灯作りなどを担っています。夫婦で一緒にやると喧嘩することが多いので、役割分担をしているそうです。文人さんの展望デッキ作りの資材は元は裏山の木。それを役場の製材所で自分で製材をして設計から建築まで全てをこなします。また、千代子さんの提灯作りも手作りで、ワークショップ形式で桜祭りの準備期間中に訪れた人に制作をしてもらいます。全てを手作りでこなすことで、オリジナリティ溢れた世界に一つだけの桜祭りを作り出すことができました。
出会いはTAKARA
今回の桜祭りのコンセプトは「出会いはTAKARA」です。
この桜祭りで出会った人たちがずっと交流をして行って欲しいという願いからつけました。
四国の真ん中の大川村の桜まつりに今では、500人ぐらいの訪問客が来てくれるようになりました。
そして今回は高知県の大学生たちもボランティアで協力をしてくれました。こうしたつながりを大切にしながら、出会いを大切にしながら、より多くの方々とこのさくら祭りを楽しんでいくのが今後の目標だそうです。
今回の訪問先
大川村さくら祭り
〒781-3601
高知県土佐郡大川村
開催日時:毎年4月上旬
交通手段:大川村役場より車で15分程度